「買う」「売る」のレベルアップを目指すことが人生100年のヒントになるか

「売る」「売る」「売る」「売る」は、言うなれば、お金はたまるが疲れる人生。
「買う」「買う」「買う」「買う」は、言うなれば、お金に困る人生。
「買う」「売る」「買う」「買う」「売る」・・・「買う」「売る」・・・が、バランスの取れた人生。

というのが、今回の結論のようなものです。

「長生きする分お金が必要になるが年金だけでは足りない、さてどうしたらよいか」。
人生100年時代についてそういった問題意識をよく目にします。
私も気になっています。
そういった問題意識を背景に、働き方、スキルアップ、リスキリング、投資、資産形成、ライフプランニングなどの各種論点が盛り上がっているのかもしれません。

先日、以下のような趣旨の記事を書きました。

  • 誰に何をいくらで売るか、について裁量を持って発案・交渉し、無理なく営業結果を出し続けられる人にとっては人生100年時代はとても楽しい時代なのではないか。
  • つまり、「企画営業」が人生100年時代のヒントになるのではないか。
  • 被雇用者を続ける限り、ある年齢を過ぎたころから年齢とともに不利になっていく傾向があると言えそうです。
  • 有能な営業職であっても、被雇用者の場合、何をいくらで売るかがあらかじめて決められている限り、一生やるのは多くの人にはつらそうです。
  • 被雇用者でなく自営でも、仕事を、誰に何をいくらで売るかを自分の裁量で発案し営業してとってくることができる場合は、楽しいのではないかという気がします。
  • 逆に、そうでなければ、法的地位が被雇用者でなく、会社経営者であろうとフリーランスであろうと「下請けの悲哀」を感じるのではないかと思われます。
  • 被雇用者でなく自営でなおかつ、企画営業で結果を出し続けられる人にとっては人生100年時代はとても楽しい時代なのではないか、それを目指してはどうか。
  • 100年時代のひとつの方向性は「日々漫然と仕事をせず、年数をかけてでも裁量を拡大することを意識し、被雇用者として不利になる年齢になっても企画営業を末永くできるようにしたい。自営になることだけを自己目的化するのは危険」といったところでしょうか。

出所:企画営業100年が人生100年のヒントになるかもしれない

読み返してみて、理想の営業像として、私なりに納得感はあります。

ただし、健康や人間関係をいったんおいておいて経済活動だけに注目するにせよ、人生イコール営業、では何かが足りない気がしました。

商売やビジネスの流れで、仕入なしの営業は成り立ちません。
商業は仕入と販売から成り立っています。
工業は仕入・製造・販売から成り立っています。
サービス業は採用・教育・販売から成り立っています。
資産形成や投資も売買から成り立っています。

略奪や強盗や廃品収集して、買わないで売るというハードボイルドな人は映画やマンガや小説に出てきます。

ただ、そういうハードボイルドな世界はさておき、日常的に考えると、まったく買わないで売るだけの商売やビジネスや資産形成は存在しません。

すると、もし「売る」ことについて神様のような達人になったとしても、「買う」ことがうまくいっていなければ、商売やビジネスや資産形成といった人生の経済面はうまくいかないのではないでしょうか。

ぱっと思いつくのは、浪費はほどほどに、や、買い物下手は損、といったフレーズです。

先日は、「企画営業」というビジネス言葉を使って営業という視点で「売る」ことについて深堀しました。

そこで、ここでは、「買う」ことを試しにビジネス用語に置き換えて検討してみます。

すると、「仕入」「購買」「調達」「外注」「採用」「教育」「投資」、、、といったさまざまな用語が思い浮かびます。

何をいくらで売るかを誰かにノルマのように決められて、ひたすら売る相手を探して営業することを一生続けるのはなかなかしんどいかもしれない、と前回書きました。
同じように、何をいくら以下で仕入れるか、何名いくらの賃金で採用するか、どのような設備をいくら以下で購入するか、といった目標を誰かに決められて、その目標達成のために「購買」担当者として一生従事するというのは、面白く感じる人も多いかもしれませんが、目標の予算・納期・品質がシビアなときなど、交渉で心身疲弊してしまったり、同じものばかり扱っていると飽きてくることもあるのではないでしょうか。

営業には営業のつらさがあり、「購買」担当者つまりバイヤーにはバイヤーのつらさがありそうです。
「採用」「教育」担当者つまり人事には人事のつらさがありそうです。

それはひとつには、分業していることも理由かもしれません。

分業するのは、適材適所にしやすいなどよい面もありますが、自分の担当以外の部分については自分ではコントロールできない、という側面もあります。

自分の裁量が減ると言い換えてもよいかもしれません。

それはストレスの原因が増えると言えないでしょうか。

「営業」に限らず、「仕入」「購買」「調達」「外注」「採用」「教育」「投資」、、、どんな職種・担当・ポジションでも、一般的に、ある年齢を過ぎたころから年齢とともに、好条件での転職やポテンシャル採用はしてもらえる確率が下がっていくと思います。
実際には能力も体力も若いころと変わっていないとしても、年齢制限や賃金等条件悪化に直面するのが、雇用や派遣の世界だと思います。
つまり、被雇用者を続ける限り、職種・担当・ポジションを問わず、ある年齢を過ぎたころから年齢とともに不利になっていく傾向があると言えそうです。

ですので、自営に憧れたり自営に転ずる人が存在するのは理解できます。

ただ、被雇用者でなく自営なら必ず明るい人生100年、となるでしょうか。
ここでは、会社経営者か個人事業主(俗にいうフリーランスとか業務委託)かを問わずに検討します。

「仕入」「購買」「調達」「外注」「採用」「教育」「投資」等お金を使う=「買う」「支払う」、にあたって「誰から何をいついくらで買うか」を「(後で)誰に何をいついくらで売れば利益が出るか」から逆算し自分の裁量で発案してお金を使えるのなら楽しい気がします。

逆に、そうでなければ、法的地位が被雇用者でなく、会社経営者であろうとフリーランスであろうと「営業力不足や買ったものの活用スキル不足が原因で買うにあたって裁量が少なく制約が多い」「(場合によっては)下請けの悲哀」を感じるのではないかと思われます。
つまり、人生100年の働き方として必ずしも望ましいとは言えないかもしれません。

被雇用者でなく自営でなおかつ、「誰に何をいついくらで売るか」と「誰から何をいついくらで買うか」の打ち手の連続ゲームで結果を出し続けられる人にとっては人生100年時代はとても楽しい時代なのではないか、それを目指してはどうか、というのが今回のアイデアです。

人生100年時代の投資というと、株か債券か投資信託か不動産か暗号資産などの金融投資、資格取得や勉強などの自己投資、が思い浮かびます。
それは、言い換えると、金融資産かスキルアップや資格取得を目的とした教育学習リソースを買う、ということだと思います。

しかし、もし買った金額がめぐりめぐってより大きな売る金額になりさえすれば、支出の対象を金融資産と教育学習リソースに限る必要はまったくないと思われます。

  • 賃貸料
  • 人件費
  • 外注費
  • 備品消耗品費
  • 通信費
  • 研究開発費
  • 広告宣伝費

たとえば、クラウドソーシングを試しに少額で使ってみたり、新聞配達屋さんに折り込みチラシをお願いしてみたり、副業用のスマホを買ってみたり、といったことは、少額からできます。
それらの経費は公序良俗に反しない内容の創業、などの条件が整えば、上限金額(例:100万円、1500万円)や助成比率(例:50%、2/3、、)や受付期間(例:年間随時、毎年4月)はまちまちですが、国や自治体からの助成金や補助金ももらえます。(基本的に後払いですが)

「買う」「売る」「買う」「買う」「売る」・・・「買う」「売る」・・・が、バランスの取れた人生。

「買う」「売る」「買う」「買う」「売る」・・・「買う」「売る」・・・、「誰に何をいついくらで売るか」と「誰から何をいついくらで買うか」の打ち手を連続して裁量をもって行うゲーム、として人生100年をとらえることもありなのではないかというアイデアです。

売買というゲームのレベルアップ。

健康や人間関係をいったんおいておいて経済活動だけに注目するとそういうアイデアもありではないかと思います。

ここで第一歩として大切なのが、情報収集・調査ではないか、とも思い、後悔しないよう調査と情報の整理に取り組んでいきたいと思いました。


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