「人生100年時代」は嘘か

「人生100年時代」で検索していたら、Googleのおすすめキーワードに「人生100年時代 嘘」と出てきたので、調べてみました。

たくさんヒットしたのですが、とりあえず旧厚生省出身者と医師が書いた2記事を引用し、検討してみました。

少し長いですが一つ目の引用です。


   
       

「人生100年時代」が叫ばれることが多くなってきたが、私自身はこのような風潮に何とはなしの違和感を感じているということである。ここでは、その違和感の正体は何なのか、この機会に自分なりに大胆に探りを入れてみたいと思う。

一つ目のポイントは、私自身の生物としての生存能力の問題ではないかと思う。とっくの昔に亡くなった両親の平均死亡年齢は70歳にも達しておらず、生活環境が大きく変わった今日単純な比較には意味がないとしても、基本的な体力や体質を両親から受け継ぎ、また、そう重くはないが慢性的な疾患を抱えているわが身にとって、人生100年時代は遠い夢のまた夢のような気がして、現実的な目標としては、現在の男性の平均寿命程度は何とかクリア出来ればいいなといったかなり控えめなところになる。

二つ目のポイントは、一般論ではあるが、寿命の伸長に伴い、喜びや楽しみばかりでなく、悲しみや苦しみといった生きる上での困難も同じように増大するのではないかという漠然とした不安感である。

三つ目のポイントは、格差の問題である。グローバル経済の進展に伴い、所得の不均衡が世界的規模で拡大していると言われている。かつては分厚い中間所得層の存在を誇っていた我が国においても、確実に富の偏在、二極化がすすみ、この格差が教育等を通じて次の世代に連鎖していく、そういう時代になってきたように思う。

(中略)加齢とともに人間のもろもろの欲望は次第に衰えていくのであろうが、本人の努力次第ではこの新しいことを知る意欲はかなり高い水準でかつ長い間維持できるのではないかと思う。願わくばこの先、認知症などにならずに「教育」と「教養」に加えて「教師」の存在にも意を払いつつこれからの高齢期を送れたらいいなと、個人的にはそんなことを考えている。

   
   
—伍藤 忠春(ごとう ただはる), 人生100年時代、違和感の正体

この内容は「人生100年時代」を嘘とまでは言っておらず、「違和感を感じている」とのことです。

一読して確かにそうかもしれないと思いました。

ただ、言及している3つの論点はいずれも個人差があるかと思いますので、健康と経済面に留意して努力していこう、というのがお粗末ながら私の感想です。

なお、このWebは「人生100年時代を楽しみたい」をテーマにしていますが、裏返せば、引用記事に書かれたような不安や心配を私自身が感じているからこそ、わざわざWebを書きながら対策を日々調べたり考えているのかもしれません。

次は2つ目の引用です。


   
       

マスコミは「人生100年時代」なんてことを言いますが、これは大ウソで、実際は男は81歳、女は87歳あたりで人生が終わります。100歳を超えた人は約6万8000人にすぎません。介護を受けず自力で日常生活を送れる「健康寿命」はさらに短くなります。そもそも「人生100年時代」などと言い出したのは誰でしょうか? 政府です。そう言っておけば、みんな年金を納めるようになると考えたのでしょう。

(中略)結局、私は老化に逆らわないのが一番いいと考えます。基本はバランスのいい食事と適度な運動。これに尽きます。

   
   
—富家 孝(ふけ・たかし), PRESIDENT 2018年11月12日号「人生100年時代」は政府の大ウソである        年1の健康診断義務付けは日本だけ

こちらはもう少しはっきりした言い方をしています。

最近の平均寿命の数字から言える範囲ではそうかもしれませんが、寿命も個人差が大きいかと思いますので、健康に留意して努力していこう、というのがお粗末ながら私の感想です。

年金やその納付や徴収については、専門家がさまざまな分析や検討をしていますので、素人の私が深入りすることは避けます。

長生きした場合に備えて粛々と納付しよう、というのが私の感想というか実際のところです。

なお、「人生100年時代」のコンセプトを打ち出したリンダ・グラットン/アンドリュー・スコットの著書「LIFE SHIFT ライフシフト 100年時代の人生戦略」(東洋経済新報社、2016年)では、将来的に100年以上生きる人が増えるだろうからそれに向けた準備をしようと言っています。

「すでに平均寿命が100歳になりました」と言っているわけではなくあくまで未来予測ないし確率の話なので、いちがいに嘘とまでは言えないと思いました。

社会科学的な話は個人差や価値観の違いも小さくありません。

最小値や最大値やさまざまな値のケースを扱いだすと時間や文字数がいくらあっても足りなくなるので、テレビや雑誌やWebの情報が平均値のみをもとに単純化したメッセージを発信することは実際的なことと思います。

ただ、だから取捨選択や解釈には注意しよう、とあらためて感じました。

堅苦しい文章になってしまいましたが、「人生100年時代」はこのWebの主題そのものですので今後の為にも真面目に書いてみました。

今回は以上です。


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